どうも、千姫です。
今日はおうちロリィタ。
babyの花刺繍ジャンスカで、黒ロリです。
今日は千姫の昔の話をします。
子どもの頃から、勉強は人一倍できるのに、いまいち空気が読めなくて、人と関わるのが苦手でした。
他人の気持ちをあまり考えられない、というか。
親は一人っ子だからそんなふうに育ったと思っていて、私も最近までそう考えていたのですが
去年、脳波検査で軽度のADHDとアスペルガーだとわかった時から、あぁ、そういうことなのね、と納得しました。
そもそも、自分が発達障害なんじゃないかと疑うきっかけになったのは
バイトを始めた頃。ファミレスのバイトだったのですが、
料理をお盆ごとひっくり返したり、氷をバケツごとひっくり返したり、一日にコップを3回くらい割ったり
まるで使い物になりません。
そんな時、たまたまインターネットで発達障害について書かれている漫画を見て
自分もこれなんじゃないか? と思ったのです。
当時は、まだ発達障害という言葉がメジャーじゃない頃。
親にその漫画を見せて「自分も発達障害なんじゃないか」と言い出すことすら思いつきませんでした。
結果、疑いを持ってから病院で診断を受けるまでにかなりの歳月を要したのですが
その間、発達障害の特性上メンタルがやられる経験をたくさんしてきました。
どんな仕事をしても、まともに務まらないからです。
・物事の手順を覚えられない
・一度に二つ以上のことができない
・空気が読めず仕事仲間や接客が上手くいかない
・集中できず、すぐ他のことを考えてしまう
etc...
こんな人にできる仕事は、パチンコ屋さんのキャンギャル(おしぼり配ったり、ティッシュ配ったり)や、風船配りくらいしかありませんでした。
結果、二次障害として心の病気まで発症してしまうことになったのですが...
一方で、発達障害の良い面も発揮してきました。
私の過去の作品は、発達障害だからこそ書けたんじゃないかと思うものが多いです。
これはちょっと、普通はなかなか思いつかないんじゃないか。
そんなアイディアを、たくさん形にしてきました。
発達障害の人は興味のあることや好きなことにはとことん打ち込む人も多いのですが
私の場合は創作に打ち込んで、それを形にしてきました。
今では、自分に合わない、出来ないことをしていた頃より、遥かに自由に生きられています。
自分に無理のない生き方ができているというか。
そもそも、作家は発達障害的な人がすごく多いらしい、というのも聞きます。
歴史に名を遺す作家にも、発達障害や心の病気を持っていたと言われている人は数多くいますし。
もちろん、自分自身いろいろ発達障害で苦しい思いをしてきているので、
発達障害でも大丈夫、だとは言えません。
千姫みたいにクリエイティブな才能を生かして活躍できる発達障害の人はそんなに多くはないですし。
でも発達障害だからって、やってみたいことや好きなことを諦めてしまうのは、勿体ないんじゃないかな、と思います。
忘れ物が多いならメモを活用したり、時間に遅れるならアラームをかけまくったり、スケジュール管理ができないならタイムスケジュールを前日に作る。
一緒に仕事をする人には、迷惑をかけないように予め、忘れっぽいことや、突然鬱になって体調を崩すこと、機械に異常に弱いことなどを伝えておく。
いろいろ工夫することで、発達障害でもなんとか、生きていけています。
もちろん障害の程度にもよるので、みんながみんな上手に克服できるわけではありません。
それでも「発達障害があるけれど自立したい」「発達障害だけどこの仕事がしたい」
という気持ちがあるなら、チャレンジしてみたほうが絶対良いと思うんですよ。
出来ない理由を探すより、出来る方法を考えたほうが人生の可動域は広がっていく。
自分の「やってみたい」という気持ちを大切にする。
これは別に、発達障害に限ったことではないと思います。
出来る方法を考えてチャレンジして、その結果毎日が輝くようになったら、
自分が発達障害だってことは割とどうでもよくなってしまうんです(^^;)
コンプレックスがコンプレックスじゃなくなる、というのかな。
世の中は相変わらずマネー至上主義、たくさん稼いだ人が偉いみたいな考え方がありますが
現実、この世にはいろいろな人がいます。
背の高い人、低い人がいるように、社会にすんなり適応できる人、できない人がいる。
誰もがたくさんお金を稼ぐ、「大きな自立」をしなくてもいいんじゃないかと。
社会にすんなり適応できないなら、その人なりの、「小さな自立」をする、それが許される社会になればいいな、と思っています。
長くなりました。
それでは、今日もこの言葉で締めましょう。
人類がコロナに勝利した姿をイメージして。
ヴィクトリー♡
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