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  • 櫻井千姫

ブログ限定小説「終わりのための11分」第三話

第二章 青春は遥か遠く


 薫の家は新宿から京王線に乗り換えて五つ目。十五階建てのつるつるぴかぴかのマンションの最上階、広々とした4LDKだ。洗面所は大きな鏡が三面鏡になっていて、トイレはウォシュレットと自動で蓋が開け閉めされる機能つき。コンロが三つもあるシステムキッチンに、薫の部屋にはウォークインクローゼットまである。高校に行かずにホテトル嬢なんてやってるけど、薫はまごうことなくお嬢様なのだ。

「薫のお父さん、今も海外出張?」

 二日酔いでしくしく痛む胃をグレープフルーツジュースで宥めながら言うと、薫はさぁね、とあまり興味なさそうに頷いた。

「一週間香港行くって言ってたけど、どうせ女と旅行でもしてるんじゃない? 今頃、熱海でヤリまくってんじゃないの」

「でもいいなー、ほぼ年中親がいないって。半ば一人暮らしみたいなもんじゃん、薫って。親がいなければ、あたしみたく家出する必要もないわけだし」

 薫の両親は薫が幼稚園の頃離婚した、らしい。原因は母親からの虐待。躾と称しては薫をぶったり蹴ったり、浴槽に沈めたりする母親を見て、父親はこの女に育児は無理だ、俺が一人で育てなければ、と悟ったらしい。

 でも薫が小学校高学年に差し掛かり、手のかからない年齢になった途端に、優しかった父親は両手の指じゃ数えきれないほどの愛人を作り、出張だと嘘をついては滅多に家に帰らなくなった。あたしは甘やかされて育ったけれど、薫は明らかに親の愛情に飢えている。自分では自覚できないほど、飢えている。

「千咲ってガチで家出してるの?」

 クリームパンを齧りながら聖良が言う。可愛い聖良には、甘いクリームが詰め込まれた可愛い食べ物がよく似合う。

「ガチだよー。ガチ家出。もうあんなとこ、二度と帰りたくないし」

「連絡もしてないの?」

「ずっとピッチの電源切ってる。今持ってるピッチは、西さんからもらった裏携帯」

 へーぇ、と聖良が尊敬しているような、感心しているような声を出した。いわゆる「プチ家出」で一週間に一度は家に帰っている聖良とひよりからすれば、ガチで家出しているあたしは家出の見本みたいなものなんだろう。

「うちも親うるさいから、あんまり帰りたくないんだけどねー。でもずっと帰ってないと、心配させちゃうし。そういうの、悪いなって思う」

「ひより、そんなこと考えてるの?」

 ポテトチップスを食べていたひよりが脂でぎとぎとになった口をぽっかりと開けた。

「考えるよ、もちろん。嫌なところはたくさんあるけれど、わたしを産んでくれて、ここまで育ててくれた人だもん。心配はなるべくかけたくない。まぁ、高校行かないで、ほとんど家に帰らない時点で心配かけてるけど……」

「聖良もそういう気持ち、あるの?」

 両手でクリームパンを持った聖良が、こくりと頷いた。

「あるよ、そりゃ。なんてったって、親だもん。この世で一番大切な人でしょ? 産んでくれた人を思うのは、人間が絶対持たなきゃいけない感情だと思うけど」

「絶対持たなきゃいけない感情なのか……あたしは全然そういうのないから、わかんないや。あたし、人間の格好してるけど、人間じゃないのかな」

 そう言うと聖良もひよりも薫も、宇宙人でも見るような目であたしを見た。

 みんな、きっと優しいんだ。自分を産んでくれた人、育ててくれた人に対して、特別な感情を持っている。心配させたくないとか、悲しませたくないとか、泣かせたくないとか。でもあたしは、ウザいだけの親なんていつ死んでくれても構わないと思ってる。むしろ早く死んでほしい。もし両親が死んだと知ったら、あたしは手を叩いて喜ぶだろう。




 五時までの出勤前に、あたしたちはいつものようにマルキューに繰り出した。七月の初め、梅雨が明けたばかりの渋谷はただ歩いてるだけでも肺が炙られているかのように暑い。平日の、まだ学校がある時間帯のはずなのに、街にはあたしたちと大して歳が変わらないくらいのギャルたちで溢れている。ショートパンツからカモシカみたいなすらっとした脚を出している黒ギャル。あゆによく似たファッションと髪型の白ギャル。もう時代遅れだけど、たまに目の周りを白く塗ってひじきみたいにバサバサのつけ睫毛をつけたヤマンバギャルにも出くわす。

 あっちを見てもこっちを見てもそんなギャルたちだらけのマルキューの中は、どこの店も「SALE」の文字をでっかく躍らせた看板を掲げている。三十パーセントオフ。四十パーセントオフ。五十パーセントオフ。お金に不自由しないホテトル嬢のあたしたちだけど、やっぱり安いというのは魅力的だ。

「まずさ、マウジー行っていい? Tシャツ買いたいんだよね」

 くるくる巻いたミルクティー色の髪を指先で弄びながら薫が言う。あたしも聖良もひよりも、それに異論はなし。

「その後リズリサね! 狙ってるワンピース、たぶんセールで安くなってるの」

 聖良の声は弾んでいる。あたしたち四人の中で、一番服が好きなのはたぶん聖良だ。ほとんど毎日一緒にいるけれど、同じ服を着ているところを一度も見たことがない。

「あたしはココルル行きたい! 欲しかったショーパン、安くなってるかも」

「千咲はココルル好きだよねー。ひよりは、どこ行きたい?」

「わたしは、センスに自信ないから……また、みんなにコーディネートしてもらおうかな」

 暗い口調でぼそぼそとひよりが言った。ひよりは胸がEカップもあるし、顔立ちは少し地味だけどメイクをすればそれほどまずくもない。なのにあまりファッションに興味がなく、センスに自信がないなんて自分で言っちゃうあたり、センスだけでなく物事全般に対して自信がないんだろう。巨乳好きのお客さん、しこたまリピート抱えてるくせに。

「よっし、じゃあとりあえずマウジー! あと一時間もするともっと混んでくるから、今のうちに買っちゃおうー!」

 薫がひよりの暗さを打ち消すように言った。

 午後のマルキューで、あたしたちはしこたま買い物をした。薫はマウジーでTシャツ、エゴイストでタンクトップ。聖良はリズリサのワンピース二着。あたしはココルルでTシャツとショートパンツ。ひよりは薫と聖良のコーディネートで、ワンウェイでタンクトップとミニスカートを買った。ショップ袋をいくつも抱えてマルキューを出たあたしたちは、揃ってほくほく顔だ。自分の身体で稼いだお金で、自分の欲しいものを買う快感。けばけばしいマルキューとホテトル嬢とは相性がいいのかもしれない。

「出勤前にどっかでご飯食べてかない? お腹すいたー」

 あたしが知ってる限り、今日はクリームパンしか食べていない聖良が言った。ホテトルの仕事はセックス。セックスの仕事は体力勝負。ちゃんと食べてから働かないと、男の身体の下でヘタってしまう。

「マックでいい? 今の買い物で、あたし、お金だいぶ使っちゃったんだよねー」

「わたしはマックで大丈夫だけど」

「あたしも平気」

「よっしゃ、マックで決定―!」

 薫が勢いよく言って、あたしたちはセンター街に向かって足を動かす。

 センター街のど真ん中にあるマックは、蟹道楽みたいに大きなポテトのオブジェが看板代わりに貼り付けてある。目立つためにこうしてあるんだろうが、むしろチープで滑稽に見えてしまう。四人それぞればらばらのハンバーガーと飲み物をオーダーし、ポテトのLサイズは割り勘にした。Lサイズのポテトは四人でシェアして食べるのに丁度いい。

 マックの中も、マルキューと同じ。平日の昼間から学校にも行かず、渋谷をふらふらとゾンビのように彷徨うギャルたちで溢れていた。隣の四人掛けテーブルに座ったあたしたちと同い年くらいの女子高生たちは、こんな暑い中でもルーズソックスを元気に履きこなし、ヒヨコみたいにぴーちくぱーちく大声で会話する。話の内容が、聞きたくもないのに耳に無理やりねじ込まれる。学校の先生の誰々が誰々とデキてるとか、誰々が結婚したとか、隣のクラスの誰々が彼氏と別れたとか、そんな爪の中の垢と同じくらいどうでもいい話だった。

 ふいに、心にペパーミントのアイスを口にした時みたいなひんやりとした風が吹く。学校。制服。ルーズソックス。放課後のマック。先生や生徒の噂話。そういう爽やかで健全な青春からは、あたしはだいぶ遠ざかってしまったんだな、と。中三で初体験を果たし、その彼とたった二週間で別れ、携帯の出会い系サイトを使ってエンコーを覚え、高校に入って一ヵ月で家出して、今はホテトル嬢。こうして言葉にしてみると、なんてくだらなくて荒んだ青春なんだろう。青春なんて青臭い響きは大嫌いだけど、離れてみると、幼稚園の頃によく遊んだ友だちみたいに懐かしく。切なく思える。

 あたしはもう二度と、あの女子高生たちのようにルーズソックスを履くことはできない。

「ねぇ、みんなはもう、高校辞めてるの?」

 チーズバーガーを齧りながらひよりが言う。隣の女子高生たちを気にしているのか、ちょっと抑えた声で。

「あたしは先月辞めた! 五月くらいから全然、行ってなかったんだけどねー」

「お父さん、何も言わなかったの?」

 眉を顰めて言う聖良。ほとんど何も、と薫。

「あたしのことなんてもう、あの人はどうでもいいんだって。あたしがホテトルやってることも、たぶんなんとなく気付いてるんでしょ? あたしが高校辞めようが、ホテトル嬢になろうが、どうでもいいんだよ」

「へー。わたしは今、まさに今親とそういう話し合いをしてるんだよね」

 親に心配はなるべくかけたくない、と言ったひよりが呟く。欲しい服を買ったばかりなのに、美味しいチーズバーガーを食べているのに、顔はちっとも楽しそうじゃなかった。

「中学の時途中から不登校で、高校もすぐには行けなくって。入学してからほぼほぼ、行ってないの。このままじゃ学費も無駄だし、辞めて通信制の高校にでも入り直そうか、って親と話してる」

「私もたまに帰ると、親とそんな話になるよー」

 聖良がポテトに手を伸ばしながら言った。ざくり、気持ちのいい咀嚼音が響く。

「このまま学校行かないでどうするのってね。両親とも、せめて高校は出てほしいって考えだから、なんとか行かせようとしてるけど。でもひよりと一緒で、私も通信制がいいんだよねー。バイト、毎日出れなくなっちゃうもん」

「みんないろいろ考えてるんだね」

 我ながら、他人事のような声が出た。両手の中のてりやきバーガーはソースとマヨネーズが醜く飛び出て、すっかり手がべたべただ。

「あたしは高校行くかどうするかの前に、完全な行方不明だからなー。たぶん高校、このまま辞めるだろけど。それ以前に家に帰りたくないし、親と顔合わすのも嫌」

「千咲の親、今頃必死こいて探してるんじゃない?」

 シェイクのストローから唇を離して薫が言った。たぶんね、と頷く。

「なんせ、あたしは可愛い一人娘だもん。いなくなったらマジ、パニックでしょ。今頃血眼になって探してると思う」

「帰らなくてもいいけど、連絡ぐらいしたほうがいいんじゃない? ほら、この間、女子高生が殺されたって事件あったでしょう? あんなことにならないかって、千咲の親、本気で心配してると思うよ」

 説教めいた聖良の口調が、ちょっとウザい。

 家出したのは、親がウザいからってわけじゃない。もっと別の、傍から見ればとてもくだらない、だけどあたしにとっては無茶苦茶切実な、きっかけがあった。とはいえ、親が死ぬほどウザいのは本当で、だったら別に心配させるだけさせときゃいいじゃん、と思う。親がどれだけあたしのために泣いても、その涙は更にウザさを増幅させるだけで、あたしの心には罪悪感の芽も生えない。

「いいんだよ別に。一生帰らないって決めてるんだから」

「ほんとに? ほんとに一生、帰らないつもり?」

 そう言うひよりが眉を八の字にしている。あたしが家に帰らないというだけで、どうしてこの子がこんな顔をするのか。これはあくまで、あたしの問題なのに。

「帰らないよ、一生。小さい頃から何度も通った道を歩くのも、地元の最寄り駅から電車に乗って高校行くのも。もう、うんざりなの」

 三人が揃って顔をしかめた。

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