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  • 櫻井千姫

ブログ限定小説「終わりのための11分」第二十一話

待ち合わせは十八時、駅から少し離れたところにある、住宅街のど真ん中にある小さな公園だ。遊具は滑り台とブランコ、シーソーが申し訳程度にあるだけ。どれもまったく手入れがなされていないのか、ブランコなんて乗った途端に崩れ落ちそうなほど板が傷んでいる。こんな危なっかしい公園で子どもを遊ばせる親なんていないし、当然、遊ぶ子どももいない。だいたい、夏場とはいえ、十八時は都会の子どもが出歩くには遅過ぎる。

 律希から十五分遅れる、とメールが来た。待っている間に、空はどんどん暗くなっていく。夏も、もう終わりかけ。どこかで、ツクツクボウシの声がした。秋の初めを思わせる穏やかな風が、キャミソールからはみ出た腕に吹き付ける。少し寒い。

「ごめん、待たせて」

 二十五分遅れて現れた律希は、一昨日見た時よりは幾分か顔色が良くなっていた。それでも、最初に会った頃と比べればずいぶん痩せてしまっている。一度も日焼けしたことのないような真っ白い腕から、脂肪らしきものがほとんど消えていた。

「律希、夏バテした?」

「ああ、ちょっとね。今年の夏は暑かったし。毎日仕事してて、ろくにご飯を食べる暇もなかったし。食欲なくて、食べるものといえばコンビニのざる蕎麦とヨーグルトくらい」

「そんな食生活してたら、セッションしてなくても体調おかしくなるよ」

「大丈夫。今日は昼に、牛丼食べたから」

 そんな事を誇らしげに言う律希が、ちょっと可愛い。

 あたしはバッグの中から財布を取り出した。いいよ、と律希が制する。

「千咲からはお金貰いたくない」

「どうして。みんなからは二万円貰ってるんでしょ?」

「友だちなんだから、タダでいいよ」

「そんなわけにいかないよ。律希を危険な目に遭わせるのに」

 しばらく押し問答があって、結局律希は半額の一万円だけ受け取ってくれた。

「じゃあ、始めるね」

「いいよ」

「目を瞑って。そして、戻りたい十一分、の事を考えて」

 目を瞑った途端、ほのかに青く光る闇が世界に広がる。視覚が失われた事で聴覚が冴えたのか、いろいろな音がはっきりと聞こえてくる。公園の隣のアパートのベランダでぶら下がってる風鈴の音。自転車が公園前の路地を走り抜けていく音。かあぁ、とカラスがどこか間抜けな声で鳴く。

 あたしは、祐平との過去を必死で思い出していた。今から三年前、あの夏の日。夏祭りに出かけて、友だちと笑ってしゃべって、帰り道は二人きり。気合を入れた浴衣姿とヘアアレンジ、そして今よりもずっと薄い下手なメイクを、祐平が「可愛い」と言ってくれたこと。みんなで食べた、りんご飴のべっとり甘い味。

「大丈夫だね。じゃあ、戻すよ」

 律希の声を最後に、聴覚が消えた。

 途端に、真っ暗闇の中に「今」が映し出される。でも、公園に向かって歩いているはずのあたしは、公園から引き返している。ビデオテープを巻き戻すように、時間が逆に流れているのだ。すべてが超高速で逆再生される。薫の家で過ごしたダラダラした日々も、両親が火事で失われたニュースも、「キャッツ」での仕事も、律希とのセックスも、出会いも、家を出たあの日の事も、祐平と七緒の背中も、和之との初体験も。

 気が付くと、あたしは浴衣姿になっていた。視界が少し低いのは、三年分背が縮んだためだろうか。からんころん、と下駄が夏らしい音を立てる。隣で祐平が、ヨーヨー釣りで取ったヨーヨーを振り回して遊んでいる。

「今度さ、また今日のメンツでプールとか行こうぜ。流れるプール。俺、浮き輪持ってくから」

 懐かしい声が、隣で語り掛ける。涙が出そうになっていた。

 もう会えないかと思っていた祐平に、また会えた。それだけで、感動が胸を貫く。

「そんな事言って。女の子の水着姿が見たいだけでしょ」

 涙腺を必死で堰き止め、そんな軽口を言うあたし。あぁ、この会話、覚えてる。この後たしか、祐平が巨乳派か貧乳派か、そんな事で揉めたんだっけ。

「なんだよそれ。お前ら貧乳の胸なんて見てもどうにもなんねぇし」

「出た。祐平の巨乳好き」

「別に俺は巨乳が好きなわけじゃないし。ただ、中学生の中途半端な胸より、大人の女の人のCカップが見たいだけ」

 こんな会話もあった。これをあたしは、あぁ、やっぱり巨乳好きなんじゃんとぶった切り、祐平はそれは違う、俺は大きければ大きいほどいいって奴じゃない、むしろ胸よりすらっとした脚の方が好きだし胸なんてAカップでもいいけど脚はきれいじゃないとなーーなんて持論を宣うので、あたしはそれに呆れてたんだ。

 今思えば、夏祭りの後、二人きり、しかも夜、という最高のシチュエーションになんて会話をしていたんだと呆れたくなる。こんなんだからあたし、祐平と両思いになれなかったんだ。ちゃんと自分の気持ちを素直に伝えていれば、未来はきっと、変わってた。

「見てよ。あたしの胸。小さいけど」

 え、と祐平が間抜けな声を出した。

「祐平に見てほしいの。あたしの胸」

「はっ? お前何言ってんの? 俺男だぜ? いくら相手が千咲だからって、さすがにそれは」

「人生で初めて胸を見せる人は、祐平がいい」

 スポーツブラの中で、今よりずっとちっちゃいあたしの心臓がばくばくしている。

 もっと、ロマンチックな事が言いたかった。

 もっと、ちゃんとした告白がしたかった。

 でも今のあたしには、こう言うのがせいいっぱい。

 祐平はしばらく黙り込んた後、言った。

「それって……どういうこと?」

「だから。生まれて初めてふくらんだ胸を見せる男の子は、祐平がいいの」

「俺、幼馴染だからって馬鹿にされすぎじゃね?」

「そうじゃないよ。祐平のことが好きだから、祐平に胸を見てほしいの」

 また無言。祐平は紫のヨーヨーを弄ぶことを、やめた。

「好きって……え、そういう意味?」

「そういう意味だよ」

「マジで言ってる?」

「大マジだよ」

「ぜってー嘘だろ」

 そのひと言で、せいいっぱい振り絞った勇気がボロボロにくだけた。

 なんてこと。祐平は、あたしが祐平を好きだという事実すら受け入れてくれないのだ。

「なんで嘘だって決めつけるの」

「だってお前。俺のお嫁さんになんかなりたくないって、みんなの前で言ったじゃん。あん時俺、本気で凹んだんだぞ」

「それは……つい、照れちゃって」

 小学校の頃の事を思い出す。あたしにとっては大した記憶じゃなかったけれど、祐平にしてみれば本気で凹むほどの言葉を放ってたんだ。

 あたしは無意識に、祐平を傷つけていた。

「照れてるからって、あそこまで言うことなくない?」

「……ごめん。反省してる」

「とにかく俺、千咲の胸は見たくないから」

 がつん。後頭部をコンクリートブロックで殴られたような思いがした。

 律希を危険に晒して、めいっぱい勇気を心に詰め込んで、覚悟をして。

 やってきた過去で得られた結果が、これだ。

 やっぱり、恋愛は甘くくない。

 祐平にとってあたしは、所詮ただの幼馴染だった。そういう事だろう。

「俺だって、初めて胸を見る人は、好きな女の子がいいもん」

「……そ、か」

「千咲も、俺なんかよりいい奴、早く探せよ。俺、ろくでもねぇ男だぜ。たぶん付き合っても、面白くないと思う。デートより友だちと遊ぶ方優先させるタイプだって、自分でわかるもん」

「祐平は、誰よりも素敵な男の子だよ」

 ひとつだけ、嘘をついた。

 誰よりも素敵な男の子は、他にいる。

「優しくて、ちょっとやんちゃで、勉強苦手で、運動得意で、割とイケメンで。祐平以上にいい人なんて、この世にいないと思う」

「……買いかぶりすぎだよ」

「ううん、本当にそう思う。きっとあたし、誰のことも、祐平以上に好きにならないよ。祐平はあたしの初恋で、最後の恋。大人になって誰かと結婚しても、時々祐平の事を思い出して、赤ちゃんが産まれたら、男の子だったら、祐平って名前をつける」

「――それ、旦那さん可哀相過ぎね?」

 祐平の言葉に、あたしはぷっと噴き出した。たしかに、そうだ。自分との子どもに、過去の男の名前をつける女。旦那さんからしたら、最悪だろう。

「たしかに。でも、祐、か平、は使いたいかな」

「祐希は? 俺、祐平ってちょっと嫌なんだよな。ゆう、は格好いいけれど、へい、って途端にダサくなるじゃん? 自分がユーキだったら良かったな、って何度も妄想した」

「ユーキだったら、女の子でも使えるね」

「だろ? ヤバい俺、千咲となんて話してんだろ」

 笑う祐平は、あたしの事なんてなんとも思っちゃいない。

 ただの幼馴染で、親友で、それ以上でもそれ以下でもない。

 でも、わかった。祐平にとって、あたしはちゃんと大切な存在なんだって。

 恋愛感情なんてなくても、好きになってもらえなくても、祐平は別の意味であたしのことを思ってくれてるんだって。

「ねぇ、一つだけ、お願い、聞いてくれる?」

「何?」

 ちりんちりん。「今」の世界でも鳴ってたような風鈴が、どこかの家から聞こえて来た。

「手、繋いでほしいの」

 あたしはそう言って、おそるおそる自分の手を差し出す。小さな白い手を、祐平は未知の生き物のように見つめている。

「手なんで、ガキの頃いくらでも繋いだじゃん」

「そういうのじゃなくて。気持ちに応えてくれないなら、せめて思い出作りに協力してよ」

 祐平は少しだけ頬を赤くさせながら、ぶっきらぼうにあたしの手を握った。そして二人、無言で歩き出した。

 小さい頃は毎日握っていた手は中学生になった今はすっかりごつくて大きくなっていて、ちゃんと男の子の手をしていた。祐平の手は、あったかかった。これから訪れる未来に負けないよう、何があってもちゃんと立ち向かっていけるよう、応援してくれるような優しい温もり。

 いつのまにか、涙で視界が歪んでいた。さっきまでうるさかった心臓は、今はすっかり静かになっていた。

 ありがとう律希、あたしを過去に戻してくれて。祐平に気持ちを伝えさせてくれて。

 結果は玉砕だったけど、これで良かったんだよね? 少なくともあたし、頑張れたんだもんね。ちゃんと自分の言葉で、思いを伝えられたんだもんね。

 きっとこれから祐平は七緒と出会い、七緒と付き合い始め、それを傍で見ていられなくなったあたしは自棄になって処女を棄て、援助交際に走る。いつのまにか家を出て、渋谷の「キャッツ」で働く。

 何も変わらないんだろうけれど、目に見えないところが確実に変わっている。

 祐平の手の温もりを覚えていれば、あたしは「今」に戻っても、大丈夫だ。

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