第十一章 塀の中
「ちょっと慌ただしいけど、ごめんね」
刑事たちは、思ったよりも優しかった。深夜に覆面パトカーに乗り、警察署に連れて行かれたあたしを、ちゃんと気遣ってくれる。向こうも相手が未成年で、しかも女子ということで、それ相応の心構えをしているのだろう。
「あそこでは、いつから働いてたの?」
「今年の五月からです」
「家出人の捜索願いが出てる。家出してたんだね。理由は?」
「……黙秘します」
途端に、目の前の刑事が顔をしかめた。
親がウザいから、とありきたりの理由を言うのは簡単だった。だからって、男の子に失恋したから、なんてアホらしい供述をするのも嫌だった。失恋して家出、なんてたぶんベテランの刑事でも扱った事がないレア中のレアケースだろうし、祐平のことをいろいろ聞かれたら最悪だ。
「君のお父さんとお母さんは、死んだんだよ」
「知ってます。ニュースで見ましたから」
両親が死んだと言っても顔色ひとつ変えないあたしを見て、刑事はちょっと動揺していたかもしれない。
「でもあたし、断じて犯人じゃないです。家出してからあそこには、一度も帰ってません。その日、その時間も仕事してたので、アリバイもあります。証言も取れます」
「あの火事は、煙草の不始末が原因だったんだ」
必死で身の潔白を証明しようとするあたしに、刑事は平たい声で告げた。
「煙草? お父さん、煙草なんて滅多に吸わなかったのに」
「君が家出してから、煙草の量が増えたみたいだね」
嫌味っぽく言われて、むずむずと反抗心が込み上げる。
だからなんなのだ、と思っていた。
一人娘が家出したくらいで、煙草だのお酒だのに依存するなんて、馬鹿みたい。いくらあたしが可愛いからって、心配だからって、そんな事されたら迷惑だ。
あたしをこんな人間に育てたのは、あなたたちなんだから。
「これから、警察の捜査が始まる。君にもいろいろ、聞くことがある」
「あたしは? どうなるんですか?」
「明日、家裁に送致する。そこで家に帰れるか、鑑別所送致かが決まる。まぁ、君の場合はやった事の大きさを考えれば、まず鑑別所送致だろうね。親もいなくなったんだし」
ふう、とひとつ長いため息をついた。刑事はそんなあたしを、黙って見つめていた。親が死んでも眉ひとつしかめないこの少女は、何者なのか。きっと、そんな事を考えていた。
手錠がかけられた。
薫たちと暇つぶしに入った渋谷のアダルトグッズショップで売っているものではなく、本物の手錠はどっしりと重く、あたしが囚われの身であることを嫌が応でも知らせてくる。
家裁には、何人かの男の子たちがいた。みんな、盗みだの喧嘩だので捕まったんだろう。誰か暴れ出すかと思えば、みんな普通に、おとなしくしていた。あたしは放心状態のまま、車に乗せられる。
連れて行かれた鑑別所に入る時、男女が分けられた。女子はあたし一人だった。薫や聖良やひよりがどうなったか、そこで初めて気にした。持ち物検査が行われる時、係の人に聞いた。
「薫は、聖良は、ひよりは、どうなったんですか? 同じ店で働いてたんですけど」
「僕に聞かれてもわからないよ」
係の男の人は、取り付く島もないほど冷たかった。
鉄格子がはめられた四畳半ほどの狭い部屋で、ダサいジャージに着替えたあたしは、さめざめと泣いた。捕まってしまった事が悲しいんじゃなくて、律希が消えてしまった事が悲しいんだ。律希は今頃きっと、天国にいる。不思議な力を持つ者の宿命として、肉体を遺さずこの世から消えた。そうとしか、思えない。
三日三晩、あたしはほとんど、泣いて過ごした。あまりにもあたしが泣いてばかりいるので、教官も困っているみたいだった。教官たちはあたしが親を失って泣いているのだと思ったらしく、辛いわね、悲しいわね、なんて言ってくる。的外れな言葉たちを、振り払いたくなる。
もう、大人なんて誰も信じるもんか。
あたしが信じられる大人は西さんと東さんぐらいしかいない。
その二人も、捕まってしまったんだけど。
四日目、あたしは相部屋に移された。同室の女の子はあからさまなヤンキーで、話し相手が出来たことが嬉しいらしく、あたしにいろいろ聞いてきた。
「あたしさ、暴行罪で捕まっちゃったんだ。一度目と二度目は、バイクでうるさくしてたからって捕まえられた」
「バイク?」
「あ、あたし、レディースなの」
ユキ、とどこにでもいる名前を名乗ったその少女は、もう十九歳だという。道理で大人っぽく見えると思った。
「千咲は何したの?」
「店が摘発された」
「店?」
「渋谷のホテトルなんだけど」
「何それ?」
「未成年を雇う、違法のデートクラブ」
「あぁ」
ユキはそれですべて察したらしく、大きくひとつ、首を縦に振った。
「千咲はここ、初めて?」
「初めてだけど……」
「だったらたぶん、大丈夫。三週間経てば自由の身だよ。あたしみたいに何度も鑑別食らってると、最後は少年院送致だけどね」
「……そか」
少し安心した。三週間経てば、塀の中からは解放されるんだ。
出所したらまた、エンコーして生きていこう。もう店には、所属しない。いつ摘発されるか、わからないんだから。ピンでやっている分には、そのリスクは低い。
「千咲の親は、普通の親?」
「普通……だと思うけど」
「あたしの親は、お母さんは普通なんだけど、お父さんが異常に厳しくて。弁護士なんだよね。プライドばっか高くて、レディースになったあたしの事を本気で恥ずかしく思ってて。正直、家に帰されるくらいなら、少年院の方がまだマシかもしんない」
自嘲的な笑みを浮かべるユキを見つめ、あたしは言った。
「帰れる可能性があるんだったら、まだいいじゃない」
「どういう意味?」
「あたしの親、死んだんだ。火事で」
「……マジで!?」
「うん。あたしが家出してる間に。まったく、やんなっちゃうよね」
ユキは思いきり顔をしかめた後、悲しそうに言った。
「だったら、シャバに戻るの、難しいかもね」
「え」
「千咲は、仲のいい親戚とかいた?」
「親戚……すぐには思いつかないな」
「引き取り手がない子や、家庭環境が複雑な子は、少年院送致になりやすいの。家族がいないからね」
「……そう、なんだ」
再び渋谷に戻る計画が、おじゃんになってしまった。
昼間はユキと一緒にちぎり絵をしたり、図書室で借りられる本を読んだり過ごしていても、夜になると悲しみがどっと押し寄せてくる。後悔という名の、悲しみ。
あたしは、自分のエゴでいちばん大切な人を失ってしまった。
こうなってみて、初めてわかった。
あたしに必要な人は祐平じゃなくて、律希だったんだって。
その事を律希に伝えられることもなく、伝わることもなく、律希はこの世から、消えた。
律希によって空いた穴は、祐平が空けた穴よりも遥かに大きかった。
とても、セックスや売春なんかで埋められない、大きな穴。
きっとこれからのあたしの人生に楽しい事や嬉しい事なんて何ひとつない。
なんとなくわかるから、死んでしまいたい。
そう思って、ユキの隣の布団の中、声を殺して泣いた。
鑑別所に入って二週間目、手紙が届いた。七緒からだった。何がどうなっているのかよくわからないけれど、祐平にフラれた後もあたしはちゃんと七緒と出会い、そして七緒は祐平と付き合い始めたらしい。
手紙には、あたしに対する謝罪の念がつらつらと綴られていた。
『千咲へ
千咲がこんな事になってしまって、すごく悲しいです。
わたしは本当は、千咲の気持ちを知っていました。
千咲は口には出さないけれど、祐平のことが好きなんだって。
それを知ってて、わたし、祐平に告白した。
祐平と付き合ってしまった。
それがどんなに千咲を傷つけたか、後悔してもしきれません。
千咲が身体を売ったのは、きっと、わたしに裏切られた悲しみを埋めるためだったんだよね?
同じ女だからかな。なんとなく、わかるような気がする。
でもわたしは、千咲にそんな事してほしくなかった。
千咲は大事な友だちだから、千咲に自分を大事にしてほしかった。
なんて、千咲のいちばん大事なものを奪ってしまったわたしに言われても、説得力ないよね。
千咲にとって、わたしはきっと世界でいちばん憎い女のはずだから。
千咲がいなくなってしまった後、祐平と二人でいっぱい、いろんな話をしました。
ほとんど、千咲のことです。
千咲がいなくなってからの祐平は、おかしくなってしまいました。
一緒に歩いていても心ここにあらず、って感じだったり。
なんにも起こってないのに、いきなり泣き出したり……。
祐平は、「好きなのは七緒だけ。千咲は幼馴染だ」って言ってるけれど、
祐平にとって千咲は恋愛対象じゃなくても、特別な存在なんです。
だから祐平のためにも、わたしのためにも、もう自分を傷つける生き方はやめてください。
千咲はたぶん少年院に行くだろうって、祐平が話してました。
そうなってもわたしはずっと、千咲のことを思っています。
千咲が幸せになれるように、祐平と二人で祈っています。
千咲にはもうお父さんもお母さんもいないけれど、わたしたちがいます。
だから、お願い。
幸せになってください。 七緒』
読んだ手紙をぐしゃぐしゃに丸め、それから破り捨てると、ユキが驚いた顔をしていた。あたしの両目から、ぼろぼろと大粒の涙が零れだす。
何が幸せになってくださいだ。何がわたしたちがいます、だ。
自分を傷つける生き方? それって、売春のこと?
何もわかっていないんだな、七緒は。
自分が大嫌いなあたしにとって、自分を大事にする方法は売春しかなかった。
可愛い、とか気持ち良い、とか、若いね、とか、自分を肯定してくれるオヤジたちの言葉に、どれだけ救われてたか。
あたしは自分を傷つけて生きていたんじゃなくて、ずっと自分を守ってた。
そんな気持ち、あんたにいくら説明したってわからないだろうね?
泣いた後には、笑いが込み上げてきた。あははははははははは、と声を上げて笑うあたしをユキがお化けでも出たような目で見つめている。
いくら七緒が、祐平が、あたしに寄り添ってくれようとしたところで、律希はもう帰ってこない。
本当に大切な人を永遠に失ってしまった苦しみが、あの二人にわかるわけがない。
あたしはこれからずっと永久に一人ぼっちだ。
もう何もかも、遅いのだ。
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