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  • 執筆者の写真櫻井千姫

ブログ限定小説「終わりのための11分」第二十五話

 少年院を出た後、あたしは引き取り手がいない未成年のための更生施設に送られた。三日で、そこを飛び出した。既に十八歳になっていたあたしは、もう堂々と身体を売れる年齢になっていた。もう大嫌いな「まともに生きてる大人たち」の顔色を窺うこともなければ、女子だらけの世界で他の女の子に気を遣う必要もない。少し遅れてしまったけれど、あたしはまた、渋谷に戻る。そして今度こそ法の目を気にせず、堂々と身体を売る。その気持ちひとつで、財布だけ持って施設の塀を乗り越えた。

 最初に務めた店は、セクキャバだった。キスをして、胸を揉ませるだけでお金がもらえるキャバクラ。キモいオヤジとのディープキスは吐きそうになるけれど、お金のためだから仕方ないと思ってやっていた。店では下を触るのはNGって事になっていたけれど、普通に下も触られたし、指も入れられた。そのくせ貰えるお金はヘルスやソープに比べれば安い。馬鹿馬鹿しくなって、普通のヘルスで働き始めた。

 渋谷にあった老舗の店舗型ヘルスは、若さを武器に身体を売る女たちにはうってつけの店だった。セーラー服に、時代遅れのルーズソックス。ヘルスというより、プレイはイメクラに近い。お客さんたちのほとんどが「先生」役を希望し、女の子たちは「授業中にオナニーしちゃってるのがバレて先生に呼び出しをくらった生徒」という安っぽいAVみたいなシチュエーションの下プレイをする。先生から、いろいろなお仕置きをされる。おっぱいもみもみの刑、手マンの刑、ピンクローターの刑。「先生」たちの前で、あたしは理想の、「エロくて可愛い従順な女子」を演じてやったから、そのヘルスではまぁまぁ、指名が取れた。

 でも、ヘルスの宿命で、本番を要求してくるお客さんも多かった。裏引きして稼ぐ女の子もいるけれど、あたしはお店のルールを破る事はしたくなかった。いくら万札を積まれても、あたしは本番だけはOKしなかった。「本番させて」「駄目だよ」「お願い」「お店の決まりだから」――そんなやり取りも面倒臭くなり、なんでもありの吉原の高級ソープに入店した。

 時代は、風俗バブル。当時ハタチだったあたしは、セクキャバやヘルスが馬鹿らしくなるほど稼げた。ロングコースで一日三本、十五万以上稼げる日なんてザラにあった。いわゆる「フードル」として、風俗雑誌の一ページを飾った事もある。

「エッチなことが大好きなサキちゃん! 肉棒を咥えない日は震えが止まらないの♡」

 なんて、チープなキャッチコピーがついていたっけ。

 でも、そんな「風俗バブル」も二十五を過ぎた頃終わりを迎えた。一日ずっとソープの個室にこもり、来ない客を待つ日が続いた。一時は人気者だったあたしも、時代の波には抗いようもなかった。高級ソープで何万も払ってサービスを受けたいと思う好き物は、とっくにいなくなっていた。三日お茶が続いてあたしは退店を決め、高級ソープから、少しワンプレイ当たりのバックは低いけれどまだ回転率の良い、大衆店へと移った。

 その大衆店は、ノースキン、生で中出しを売りにする店だった。プレイ自体は高級ソープと大差はないが、バックが少ない割に性病のリスクがあり過ぎる。月に一度は性病検査の義務があり、女の子たちはみんなクラミジアや淋病に罹って店を辞めていった。あたしもクラミジアを移された。罹って、仕事に出れなくなっても、その間の給料の保証なんてない。これじゃあ生活できないと思って、あたしは大衆店を半年で辞めた。

 性病のリスクがない風俗店はないか。そう調べて、あたしが行きついたのはM性感だった。普通のSMクラブと違うのは、いわゆるM嬢がいない、女王様の専門店だということ。本番は当然ないし、キスやフェラもなければ、それどころか女王様の許可なしに身体に触れることも出来ないんだから、性病のリスクはない。面接の時、店長に正直にソープで働いていてクラミジアを移された話をすると、うちの店ではそういう事はまずないから、と言ってくれた。ここなら大丈夫だ、と思えた。

 M性感の仕事はお茶を引く日も多かったし、給料はソープやヘルスに比べれば少なかったけれど、楽しかった。踏んでください、と懇願する男を踏んでやったり、鞭で叩いてください、お尻を差し出す男のケツを乗馬鞭で叩いたり。ペニバンで後ろから男を突くと、いつも律希のことを思い出した。律希はいつも、あたしにペニバンで突かれると女の子みたいな可愛い声を上げていた。目の前の男は律希に似ても似つかない、だらしなく太った醜いオヤジだけど、それでも律希のことを思い出して、懐かしさが心に広がった。

 もし、律希が生きていたらあたしはこんなふうに風俗にしがみついて生きて行かなくて済んだかもしれない。いつか律希と一緒に暮らし始めて、「少ないお金でもなんとか二人でやっていこう」って、二人で風俗の世界から抜けることを選べたかもしれない。すべては「if」だけど。

 どうしても想像してしまうんだ。律希が消えてなければ、って。

 楽しかったM性感の仕事も、三十を過ぎた頃からぽつんと客足が途絶えた。歌舞伎町に、M性感の店が増え過ぎたのだ。星の数ほど店があれば、当然、客も分散する。脚フェチ大歓迎、どんなM男さんも迎え入れますーーそれが売りだったうちの店も、閑古鳥が鳴く日が続いた。その上、どういう経営戦略なのか知らないけれど、アホのように新人さんを入れまくった。古株の女の子は、よほど売れている子じゃない限りお茶を引きまくる日が続いた。

 こりゃ駄目だ。そう思って、そのM性感も辞めた。

 三十を過ぎたあたしが、次に足を踏み入れたのはエステの道だった。下着姿でマッサージをした後、ハンドフィニッシュ。これも、性病を移される事はない。でもいざ仕事に行くと、店ではNGなのに普通に胸を触ろうとしてくる男はいるし、本番を要求される事もある。その上ちゃんとした施術台もない、普通のベッドでのマッサージで腰を痛めた。二年勤めて、マッサージ中に腰痛が出るようになり、あたしはエステも辞めた。

 それからはもう、必死だった。この際、「性病を移されたくない」なんてなまっちょろいことは言ってられない。なんせ、あたしはいくら気持ちがまだまだ若いからって、三十を超えたおばさんなのだ。若い子と同じように、普通のサービスをして稼げるわけがない。ピンサロ、デリヘル、格安ソープ。何度も店を変え、いくつも掛け持ちし、やっと家賃と光熱費と生活費を払うだけの収入を得た。顔は、ほうれい線ができた。シミもできた。身体は、腹が出た。バストラインが下がった。全体的に、弛んできた。

 二十代の頃はタワーマンションに住んでいたのに、今は瑞江にある家賃五万四千円のボロアパートだ。週六日働いても、三十万がやっとの稼ぎ。月収三十万なんて、普通の仕事をしている人からしたらいい仕事じゃないか、と思うかもしれない。でも、弛んだ身体を引き締めるためエステに通ったり、シミを消そうと高い基礎化粧品を買ったりしたら、それでも足りない。

 あたしは、完全に風俗を辞めるきっかけを失ってしまった。

 エステに勤め始めた頃から、「このままでいいのか」と思った事は何度もある。特に、昼間の仕事をしながら風俗をしている子と待機所で遭遇した時。エステで働く子は比較的風俗嬢の中でも真面目な子が多くて、昼間は普通にOLをやっていて夜だけ風俗、なんて子もいたし、昼間はショップ店員やネイリストをやっていて、それだけじゃ生活していないから風俗、なんて子もいた。普通に働ける子が普通に生きていけない。その事実を改めて知って、あたしは打ちひしがれた。それと同時に、自分もいつか四十歳になり、五十歳になる事を考えた。このままでは、ヤバい。何か資格でもなんでもいいから取って、昼間の世界で仕事をしなければ。

 でも、現実は中卒で少年院送り、その後風俗以外で仕事した経験はゼロ。そんなあたしを受け入れてくれる企業なんてなかった。ハローワークに行った時は、掃除の仕事を紹介された。一ヵ月だけ真面目に勤めたけれど、貰える給料は雀の涙ほどで、馬鹿らしくなって辞めてしまった。十代から身体を売って生きてきたあたしは、正常な金銭感覚が欠落している。お金は、股を開いてもらうもの。心が、身体が、細胞が、そう覚えてしまっていた。

 だいたい、世界を憎み、大人を憎み、親を憎み、斜に構えて生きてきたあたしが今さらまともになろうだなんて、ムシが良すぎる。あたしは、昼職に就くことを諦めた。

「いーつまでーもこんなところーに、いちゃいけないのは、わかってるんだけどー」

 最近好きな歌を口ずさみながら、駅までの道を歩く。一年遅れのオリンピックが開催され、夏の東京はどこも人で溢れている。様々な国から来た外国人たちが繁華街に溢れ出し、電車はいつ乗っても満員電車。さすがにホテル街の方は静かだけど、もうすぐこの静けさもなくなってしまう。

 真夜中の歌舞伎町、色とりどりのホテルのネオンが照らすアスファルトの上。黒いTシャツとジーンズに身を包んだ、一目でゲイとわかる細っこい男の子が立っていた。

 律希に似ている。そう思いながらすれ違おうとすると、声をかけられる。

「千咲」

 その声に、あたしは身体全体で驚きながら振り向いた。

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