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  • 櫻井千姫

ブログ限定小説「終わりのための11分」第八話

「今日ね、祐平くんに告白しようと思うの」

 今からちょうど一年ほど前。期末テストが終わり、夏休みが間近に迫ったその日、七緒は言った。以前から七緒は祐平が好きだとあたしに打ち明けていて、それを応援するとあたしも言っていたけれど、さすがにその言葉には打ちのめされた。

「そうなんだ。頑張ってね」

 心の中は不穏な風がびゅうびゅう吹いていたけれど、あたしは笑顔を作った。あたしの内心にまったく気付くこともなく、七緒はうん、と高揚した顔で頷いた。まさか、祐平がOKするわけないよね。不穏な風を鎮めようと、自分に言い聞かせる。

 運動神経が良くてサッカー部のエースだった祐平は、小学生の頃から女の子にモテまくっていた。でもラブレターをもらっても、告白されても、祐平がそれに一度もイエスと言うことはなかった。小六の時なんて、もらったラブレターを見せられて、「マジ、どうすればいいと思う? 付き合ってほしい、なんて言われても困るし。なんて返事書いたらいいのかわからない」なんて相談されたくらいだ。祐平がモテるのに彼女を作らないのは幼馴染であるあたしが好きだからだと、勝手に思っていた。あたしが幼馴染の関係が壊れてしまうことを恐れて告白できないように、祐平もまた同じ気持ちからあたしに告白できないでいる。表には出さないけれど、あたしが祐平を思っているように、祐平もまたあたしを好きでいてくれている。

 根拠のない確信を持っていたあたしは、今思えば馬鹿の極みだ。

 結果、祐平は七緒の告白を受け入れた。どうしよう! 付き合うことになっちゃった! と興奮して報告してきた七緒に、そうなんだ、おめでとう、とかろうじて言ったあたしの顔面はきっと真っ青だっただろう。その日のうちに、あたしは幼馴染の特権で祐平の家を突撃訪問した。サッカー部の練習で疲れ切った身体をベッドに投げ出しながら、祐平は言った。

「前から思ってたんだ。ちょっと、可愛いなって」

 ちょっと、可愛い? 思わず聞き返したかった。たしかに七緒は目も大きいし鼻筋もすらっとしてるけれど、あたしだってそんなにまずい顔じゃない、と、自分では思う。七緒はちょっと可愛くて、あたしはちっとも可愛くないの? 本当はそう聞きたかったけど、もちろん聞けなかった。

「それに、もう中三だしな。そろそろ、彼女作ったりとか、そういうことしてみたいなって」

「受験生のくせに随分余裕なんだね」

 嫌味を込めてそう言うのが精いっぱいだった。祐平はあたしの気も知らず、かかか、と笑う。

「そう言うお前だって、油断できないだろ。この前の期末、数学が三十二点だったじゃん」

「祐平だって四十五点でしょ。似たようなもんだよ」

 テストの点を見せっこするくらい仲の良いあたしたちなのに、なぜか祐平は「彼女を作ってみたい」という中学生男子なら誰でも抱くであろう願望の相手に、あたしじゃなくて七緒を選んだ。

 七緒のどこが良かったの? どこが「ちょっと、可愛い」の? 七緒のこと、本当に好きなの? なんで、あたしじゃなくて七緒なの?

 本当に聞きたかったことは、何ひとつ聞けなかった。

 終業式の日、あたしは和之を学校の裏庭に呼び出した。和之は三年で初めて同じクラスになった男の子で、修学旅行の班が同じだったことを機に仲良くなり、修学旅行の後告白してきた男の子だ。その時は好きな人がいるから、と断ってしまったけれど、今になってあたしは和之を利用することにした。

「まだあたしのことが好きなら、付き合ってほしい」

 そう言うと、和之はチワワによく似た真っ黒いつぶらな目を見開いた。和之は顔こそ決して悪くはないけれど、クラスの序列では間違いなく最下層に近い。バレー部に入ってるけど万年補欠で、オタクっぽい男の子たちとばっかりつるんでいて、何かというと学級委員や運動部の目立つ子たちからイジられている。こんなみそっかすみたいな男と付き合うのはあたしだって本当は嫌なのだが、この際仕方ない。

「え? いいの? 本当に? なんで?」

 疑問符が多過ぎてうんざりする。本当はあんたのことなんて、耳垢一杯分ほども好きじゃない。そう言ってやりたかったけれど、あたしは努めてクールに振る舞った。

「気が変わったの。駄目?」

「いや、駄目じゃないけど。むしろ嬉しいけど。え? え? 本当にいいの?」

 だから疑問符が多いんだってば。ち、と舌打ちしたいのをこらえる。

 付き合い始めて一週間後、あたしは和之を家に呼んだ。夏の白い日差しがカーテンの隙間から差し込みフローリングを眩しく照らす、両親が仕事で出払った二人きりの家。和之は、目に見えて緊張していた。女の子の部屋に入るのも、女の子のベッドの上に並んで座るのも初めてだったんだろう。終始おどおどしている和之はペットショップから連れてこられたばかりのハムスターみたいだった。

「セックスしようか」

 そう言うと、和之は飲んでいた麦茶を噴き出しそうになっていた。まだ手も繋いでいないし、二人きりで会うのは今日が初めて。確かに、まったく段階を踏んでいない。自分でも唐突過ぎると思う。

「どうして。そんな、まだ、付き合って一週間なのに」

「付き合い始めたらそうするのは、ごく自然のことでしょ」

 あわあわとする和之の前で、あたしはぽんぽん服を脱いだ。動揺を隠せない和之だけど、視線はしっかりとブラを外した胸や陰毛が露になった下半身に吸い寄せられている。

 ドキドキしているのは和之だけで、あたしの心は森の奥の風の吹かない湖みたいに静かだった。

「ほら、しよ」

「しよ、って言われても」

「やり方ぐらいわかるでしょ? エロ本とかAVとか、見るでしょ?」

「見るけど」

「だったら知ってるやり方で、あたしの処女を奪って」

 和之はごくり、と喉仏を大きく上下させた後、ベッドに横になったあたしの上に覆いかぶさってきた。

 何も感じない、気持ち良いのなんてどこにもない、お菓子の袋に入ってる乾燥材みたいなセックスだった。ただ破瓜の痛みだけは凄まじく、思わず声を上げてしまった。和之は大丈夫、大丈夫、と繰り返しながら、それでも欲望に抗えないのか腰を振り続けていた。

 ずっと、祐平にだけ捧げたいと思っていた処女。その夢が絶たれてしまった今、あたしが祐平と七緒が付き合っているという現実に抵抗するには、二人より先に経験してしまうことぐらいしか思いつかなかった。

 夏休みの間はその後も三日に一度は和之を家に招き、セックスをした。和之は余程下手なのか、あたしがちっとも和之を好きじゃないからなのか、回を重ねても無味乾燥なセックスが色づくことはまるでなかった。夏休みが終わる二日前のその日、行為の後、使用済みのコンドームの根元を慣れない手つきで縛っている和之を前にして、あたしは言った。 「別れよう」

 付き合ってほしいと言った時と同じように、セックスしようと言った時と同じように、和之はみっともなく狼狽していた。コンドームをティッシュで覆ってコンビニのゴミ袋に入れるのも忘れて(さすがに部屋のゴミ箱に使用済みのコンドームを入れるわけにいかないから、使ったコンドームは毎回こうして和之が持ち帰り、近所のコンビニのゴミ箱に捨てていた)、和之は硬直したまま、あたしに言った。

「どうして? 俺、なんか悪いことした?」

「別にしてないよ」

「それじゃ、なんでこんな」

「もうあたしの目的は果たされたから」

 あたしが和之と付き合った目的。処女を棄てること。祐平と七緒より先に経験すること。祐平に捧げると決めていた処女は、祐平が叶わなければ相手なんて誰でもよかった。たとえ、みそっかすの和之でも、この際仕方なかった。

 意気消沈した和之はそれじゃあしょうがないね、としばらくして言った。一瞬、思った。もしかして和之にはすべて見抜かれているのではないかと。あたしが本当に好きな人も、一度は断った告白を受け入れた真意も、和之と付き合ったくだらない目的も。まさか、そんなわけもないか。こんな鈍くさい男に。馬鹿馬鹿しい過程をすぐさま打ち消した。

 和之と別れた後は、あたしはケータイの出会い系サイトを使って様々な男と会うことを覚えた。会って、セックスする。五番目に寝た男は、お小遣いあげようか、と言って三万円をくれた。それであたしはセックスが金になることを学んだ。

 勉強、勉強とうるさい親を振り切って、あたしは中三の二学期から三学期をほぼまるまる援助交際に費やした。受験なんてもう、どうでもよかった。祐平と同じ高校に行くつもりでいたけれどそれも意味ないし、だったらこの辺りで底辺高校と言われているヤンキーしかいない高校でもまったく構わない。援助交際は受験が終わり、長い春休みを迎え、高校に入ってからも続き、たった一ヵ月だけの高校生活の中でもあたしは学校と援助交際を両立していた。千人の男と寝れば、いつかは祐平のことも忘れられる。ちっとも興奮しない、金だけが目当てのセックスを自傷行為のように繰り返し、アルコール中毒やギャンブル中毒の人のようにあたしは援助交際に浸っていった。

 家出を決めたのは、今から約三か月前、ゴールデンウィークを間近に控えた四月のある日だった。別々の高校に進学しても相変わらず仲の良い祐平と七緒が、並んで歩いているところに出くわした。あたしは家に入るところで、祐平と七緒も家に入るところだった。失恋した相手がお隣同士というのは、あまりにも残酷だ。

「久しぶりだな、千咲。感じ変わった?」

 みんなが受験に向かって頑張っていた中三の二学期から三学期にかけ、援助交際にハマって勉強をすっぽりサボっていたあたしは当然のごとくいい高校には進学できず、制服が可愛いことだけが取り柄の地元の底辺高校に進学していた。底辺高校は校則で禁止されているけれど茶髪、金髪は当たり前で、あたしの茶色く染めて少し派手になった頭は、たしかに全体的な雰囲気をも変えていたかもしれない。

「祐平と七緒は、相変わらず仲良いんだね」

 地元の進学校へ、私立の女子校へ、それぞれ進学した祐平と七緒が照れ臭そうな顔をした。かあっと青い炎が胸の中で立ち上る。なんであたしの前で、そんな顔するのよ。なんであたしの前で、二人でいるのよ。百歩譲って付き合うのは仕方ないにしても、せめてあたしの前から消えて。

「今日はこれから家デート?」

「まぁね」

 祐平が相変わらず照れ臭そうな顔で答える。お隣同士で家族ぐるみで仲の良いあたしは、この時間祐平の親が二人とも仕事に出ていることを知っている。二人きりの家に、付き合っている女の子を呼ぶ。もう、やることと言えばひとつしかない。

「じゃ、またな」

「また連絡するねー、千咲」

 仲良く二人肩を並べ家の中に入っていく二人を見送りながら、あたしの胸の中て青い炎が嵐のように吹き荒れていた。祐平たちより先に経験すればいいと思ってた。千人の男と寝れば祐平のことも忘れられると思っていた。でも、そんなの根本的な解決にならない。

 この街を、この家を出てかない限り、あたしは今みたいな光景をこれから幾度となく見せつけられるんだ。

 家に入ると部屋ですぐに「仕事用」の服に着替え、メイクを直して再び出かけた。鍵をかけ、歩き始めて二十歩ぐらいして、一度振り返った。生まれた家じゃなくて、かつて祐平とたくさん遊んだほうの家を。あの家の中で、祐平は今頃七緒と初体験を果たしているのかもしれない。あたしが体験したものとはまったく違う、心から愛する者同士が結ばれる甘い甘い初体験。

 地元の駅のロータリーで、今日会う予定だった男の車に乗るとすぐ、あたしは告げた。「あたし今、家出してるの。もう一ヵ月。今夜泊まるところもないし。よかったら泊めてくれない?」――これから家出する、と言ったら、きっと相手もそんなことはやめなさいと説教を始めるだろう。でも家出が一ヵ月となれば、もう助けてやるしかないんじゃないか。そんな思考に陥ってくれることを見越して、賭けに出た。結果あたしは、賭けに勝った。男は妻が出産のため実家に帰っているという二人暮らし――正確に言えばこれから三人暮らしになる、今現在は一人暮らし――の家に、あたしを一晩だけ泊めてくれた。

 それから渋谷のマルキューでキャッツの求人チラシに出会うまで、あたしは援助交際で出会った様々な男たちの家を寝泊まりして暮らした。宿泊代として、身体を差し出すだけで金はもらわないこともあったから、キャッツに電話した時のあたしの所持金は三千円だった。キャッツに入ってから、あたしの財布は潤った。薫、聖良、ひよりという仲間もできた。薫の家という、安心できる宿泊場所も手に入れた。服もしこたま買った。

 人生は確実にいい方向に進んでいるはずなのに、あたしの心は相変わらず梅雨空のようなグレーのままだ。毎日それなりに楽しいこともある。おかしければ腹を抱えて笑うこともできる。でもあたしの身体の中心には、祐平を失った穴がぽっかり空いたままだ。

 既に気付いていた。千人の男と寝たって、故郷を離れたって、何も解決しない。祐平が空けた穴は、祐平でしか埋められないのだ。

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