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執筆者の写真櫻井千姫

ブログ限定小説「終わりのための11分」第十三話

八時に来ると言っていたその客は電車が遅れただの取引先から連絡が入っただのあからさまに嘘っぽい理由をつけて、結局九時半まで来なかった。西さんは新規のその客について、ぶつぶつと恨みつらみを吐き散らしていた。

「一時間半も遅れるなんて、ロスタイムが多過ぎるよ。その前に千咲ちゃん、一本、行けたのに」

 お給料は女の子と折半だから、西さんからしても女の子が稼げないというのは大問題なのだ。

 ヴィラジュリアで待っていたその客と東さんの間で、ひと悶着あった。客は六十分のコースを百二十分に延長したいらしく、東さんはその後の予定があるから自分の一存でそれは出来ないと最初は応じなかった。客は東さんに万札を何枚か追加し、東さんはそれを受け取った。あたしが部屋に入る前に、東さんが右耳に口を寄せてきた。

「この客、注意した方がいい」

 面倒臭い客だな、というのは一目瞭然だけど、注意、というのはいったい何に対する注意だろう。皆目見当つかないまま、あたしは部屋に入った。

 四十をひとつふたつ過ぎたくらいのその客は、インテリっぽい黒い眼鏡をかけ、痩せた身体は生まれてから一度も太陽を浴びた事がないんじゃないかと思うくらい白かった。爬虫類、という言葉をとっさに思い浮かべた。整った顔が、逆に気味が悪い。

「この店は女の子のチョイスが上手いね。ロリ系がいい、って言ったら、ほんとにロリ系が来ちゃった」

 まったく嬉しくない褒め言葉を浴びせながら、爬虫類はあたしの身体を隅々まで味わい尽くした。マラリアに罹った熱帯のジャングルで大量の蛇に襲われているような気持ち悪さが、ぞぞぞ、と肌を泡立たせた。

「もう立っちゃったから、入れていい?」

 黒いトランクスを脱いだ客がくるりとあたしを裏返し、四つん這いにさせる。コンドームを取ろうと枕元に手を伸ばすと、その手をぐっ、とものすごい力で掴まれた。

「何するんですか」

「そんなのいらないでしょ」

「うちは、ゴム有りって決まりなんです」

「黙ってればバレないよ」

 そんな問題じゃない! と叫ぼうとする前にあそこに勢いよく勃起したペニスが突き刺さった。

 あたしは身体を捩らせ、コンドームに手を伸ばそうと必死の抵抗をした。しかし腰をがっちりとロックオンされていて、動けない。客はハァハァと犬のように息を吐きながら、夢中でペニスを出し入れしている。このまま射精されてしまっては叶わない。大きなペニスが膣奥を突つかれる衝撃に耐えながら、なんとかこの状況を打開する術を考えようと頭を回転させるけれど、何にも思いつかなかった。

「あぁ、イク」

「外に出して下さいっっっ」

 最後の抵抗虚しく、あたしの狭い膣の奥に真っ白い毒が勢いよく放たれた。

 客はイッた後も余韻を味わうように、しばらくあたしの身体を後ろからぎゅうと抱きしめ、放心していた。もう、どうしたらいいのかわからなかった。生でヤラれてしまった。しかも中で。妊娠、という言葉が脳裏を過ぎる。

「すっごく良かった。またね」

 客はシャワーも浴びず、ペニスをティッシュで拭っただけで、とっとと服を着始めた。まだベッドで朦朧としていたあたしは、必死に言葉を探す。

「百二十分なんですよね? まだ三十分くらいしか経ってませんけど」

「生で中出し出来たんだから、それで十分だよ。店にはちゃんと金払ってるし」

 感情を込めずにさらりと客は言って部屋を飛び出し、あたしは一人ヴィラジュリアの一室に残された。

 すぐ、西さんに電話をかけた。客に生でヤラれて中出しされてしまったこと、その客もとっとと帰ってしまったこと。西さんはすぐに東さんを寄越してくれて、まだ上の空のあたしは必死でシャワーを浴びた。中まで洗ったところであまり意味がない事は、ちゃんと知っていた。健康な卵子を求める精子の根性は、凄まじいのだ。

「千咲は、最後の生理、いつ、来た?」

 エレベーターの中で東さんが聞いた。サングラスの奥の目からは表情が窺えない。

「たしか、十日くらい前だったはずが……」

「だったらヤバいな。すぐアフターピルだ」

 東さんと共にカラオケ館に戻ると、西さんはアフターピルを手に入れるために奔走してくれた。薫は仕事に行ってい不在で、聖良とひよりがかわるがわるあたしを励ましてくれた。レイプされた聖良と、堕胎したひよりには、今のあたしが過去の自分と重なって見えるのだろう。

 キャッツには十八歳未満だけでなく、昼間の仕事をしていて、時々ホテトル嬢をやる女の子も在籍している。二十四時を回ったところで、今日は出勤していない看護師の女の子がやってきた。あたしにアフターピルを渡すためだけに。

「お金はいいから、すぐ飲んでね。副作用がしんどかったら言って」

「ありがとうございます」

 コーラでアフターピルを流し込むあたしを見て、ようやく西さんがホッとしたように肩の力を抜いた。

「まったく、困った輩もいるもんだよ。千咲ちゃんが妊娠でもしたらどうするつもりなんだか」

「そんな事考えてないのが客ですよ」

 冷静なあたしのひと言に、西さんは渋い顔をしながら頷いた。

「とりあえず、あいつは即行出禁。携帯の番号はこっちも押さえているから、着拒ね。しかしこういう事があると、みんなにもピル飲ませないと無理かな」

「えー、私ピルは嫌です。あれ、飲むと太るんでしょう?」

 ちっとも太っていない聖良が言った。ひよりも口添えする。

「わたしも前飲んでたけど……副作用がひど過ぎて、無理だった。酔っぱらったみたいな感じになって、身体が全然動かないの」

「みんなまだ、身体がピルに慣れてないんだろうね。あたしは十八歳未満には、ピルは薦めない。飲み忘れて妊娠する事もあるし、ピルだけじゃ性病も防げないし。むしろ生でヤリまくって、子宮頸がんになっちゃう子とか、多いんだ」

 看護師の女の子がいかにもその道の専門らしいことを言った。

 妊娠は怖いけれど、万が一、ひよりみたいに妊娠して堕胎したところで。今の客に、エイズでも移されたところで。あたしに、失うものなんてあるんだろうか?

 赤ちゃんを堕ろすのは、可哀相だから嫌だ。でもエイズなんて、正直仕方ないと思う。エイズになって若くてキレイなうちに死ねたら、いっそあたしは生きる苦しみから解放されるんだから。

 そんな事を考えてしまう、やけっぱちの娼婦はマルボロに火を点けた。

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