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  • 櫻井千姫

ブログ限定小説「終わりのための11分」第十六話

  第八章 不穏



 一週間、律希に会わなかった。正確には、会えなかった。

 律希に「副業」をやめさせないといけないのに、律希を失うことだけはどうしても避けなければと思うのに、律希に向き合うのが怖かった。あの日、ヴィラジュリアにセックスもせず一泊した律希は、次の日にはすっかり元気を取り戻していた。「副業なんて今すぐやめなよ」と連発するあたしを、「昨日は心配させちゃってごめん。僕はまだ、大丈夫だから」なんて笑い飛ばすくらいに。

 律希はきっと、これ以上生きていても楽しい事や嬉しい事なんて何もないと思い込んでいる。あたしだってそうだから、わかる。あたしに起きる楽しい事は、せいぜい欲しい服やバッグやコスメを買って満足する事、それくらい。薫や聖良やひよりみたいに将来の夢もないし、未だに祐平を忘れられない以上、誰かと恋愛して結婚する事も想像がつかない。

 でも、律希の絶望はあたしの絶望なんて比べ物にならないほど深い。律希はあたしと違って、親に恵まれなかった。それどころか、ひどい里親にボロボロに傷つけられ、男に感じさせられてしまう自分を嫌悪しながら、デートボーイとして生きている。あたしもやけっぱちの娼婦だけど、律希はもっとやけっぱちの娼夫なのだ。律希は、生まれながらに授かった特別な能力を発揮する事だけで、自分はまだ生きていくに値する人間だと信じていた。

 でもその能力は、いつか確実に、律希を、殺す。

「ねー。さっきの客にさぁ、おしっこ飲ませてほしいって言われたんだけど」

 カラオケ館の一室、メイクを直しながら薫が言う。終戦記念日の今日も、昼間のキャッツはあまり電話の鳴りが芳しくない。十五時から出勤している私たちの中で、唯一ナンバーワンの薫だけが予約が入っていて、六十分コースから帰ってきたところ。

「やだ、何それ気持ち悪い」

 ひよりが露骨に眉をひそめる。西さんと東さんは苦笑している。

「それで、飲ませたの?」

 聖良の反応はひよりに比べると、幾分か自然だった。ブルセラショップで、非生理時に入れておいた女子高生のタンポンが一万円で売れる事を知っている聖良や薫は、おしっこぐらい何とも思わない。

「飲ませてあげたよ、ベッド汚さないように、お風呂場に行って。あんまり出なかったけど、すごく喜んでた。次はもっとたくさん飲ませてね、だって」

「世の中、変な人がいるもんだね」

 聖良の言葉に薫がこくこく頷く。

「でもまぁ、飲ませる分には良くない? 逆に、自分が飲ませられたら嫌だけど。聖良たちもその客に当たるかもしれないから、そういうプレイを要求される事もあるんだって覚えておいた方がいいかもね」

「わたし、絶対飲ませられない……」

 ひよりがドン引いている。西さんと東さんが、ドンキに出かけていく。カラオケ館の一室は、あたし、薫、聖良、ひよりの四人きりになった。あたしはマルボロを咥えつつ、窓から向かいのブックファーストに出入りする人たちを見ていた。律希と会わなくなってから、煙草の量が増えている。

「千咲、なんか元気なくない?」

 メイク直しを終えた薫が言った。あまりにもあっさりと見透かされてしまって、あたしはつい、目を見開く。

「なんか最近、あんましゃべらないし。ちっとも楽しそうじゃないし。ひたすら、煙草ばっか吸ってて」

「そういうふうに……見える?」

「見えるよ! 何かあったの? 例のデートボーイの彼氏と痴話喧嘩?」

「別に彼氏じゃないし。ただのセフレだし」

 言ってしまって、悲しくなる。

 ただのセフレだと思ってた。それ以上でもそれ以下でもないはずだった。

 でもいざ律希を失うかもしれないと知って、自分にとって律希がとてつもなく大切な存在になってる事に気付いた。

 でも実際、あたしと律希は付き合ってるわけでもないし、二人を繋いでいるたしかなものは何ひとつないんだ。

「じゃあなんで、そんなに毎日めそめそしてるわけ? やっぱ、あったんでしょ。あの、律希とかいう男の子と」

「あったっていうか……」

 どう話せばいいだろう。

 律希の能力の事をひとに話す事は、憚られる。たとえそれが薫や聖良やひよりや、信用に足る人だって。律希の「セッション」を目の前で見るまではあたしだって律希の言ってる事は半信半疑だったし、普通の人に話して理解してもらえるとは到底思えない。

 ただひとつ、たしかな事は。

「あの子は、あたしが想像もしてなかった、大きなものを抱えてた」

 煙草の灰を灰皿に落としながら、ぽつりぽつりとあたしは語り出す。

「その事をどう受け止めていいか、わからないの。あたしの悩みなんて、とてもちっぽけで、くだらないものだから。こんな事で壊れてしまった自分が、恥ずかしくなるくらい。あの子に対してこれからどう接していいのか、わからない」

「千咲の悩みは、本当にくだらないものなの?」

 ひよりが言った。アイラインで縁どった大きな目が、まっすぐこっちを見ている。

「少なくともわたしには、そうは見えないな。千咲は一見明るいけれど、わたしたちと同じように、背負ってるものがちゃんとある。そうじゃなかったら、この仕事、しないよ」

「普通の女の子だったら、いくらお金が貰えるからって、キモいオヤジとセックスなんて出来ないもんね。私たち、何かしらどこかしら、壊れてるんだよ」

 聖良も言ってくれる。

 そう、あたしたちは「普通」じゃない。いくら「普通」の女の子のように着飾ったからって、「普通」の女の子のように恋バナに盛り上がってみたからって、この世界に足を踏み入れてしまった以上、一生「普通」の女の子としては生きられないって、みんなちゃんとわかってる。十八歳未満の違法ホテトルで働くっていうのは、そういう事なんだ。

「聞いてくれるかな、あたしの過去。軽蔑されるかもしれないけれど」

「聞くよ。どんなに長い話でも。薫もひよりも、聞くでしょう?」

 聖良の言葉に、薫とひよりがこくこく、頷いている。

 あたしは初めて友だちに、自分の事をちゃんと話した。

 祐平っていう、素敵な幼馴染に初恋をしていたこと。

 その気持ちを素直に表すどころか、誰にも告げられなかったこと。

 中三の時、祐平が親友の七緒と付き合い始めたこと。

 祐平たちより先に経験するため、和之を利用して捨てたこと。

 それからあっという間に援助交際にのめりこみ、いつしか祐平の思い出が染みついた土地が辛くなって、当たり前のように七緒を家に上げる祐平を見ていられなくて、親も故郷も捨ててしまったこと。

 口に出して、改めて思う。なんてひどい人生だろう。

 律希は、里親に自分の尊厳を踏みにじられた。

 薫は、親の愛情に飢えている。

 聖良は、レイプされた傷を必死で上塗りしようとしている。

 ひよりは、堕胎した過去を今でも受け入れきれずに生きている。

 そんなみんなから比べたら、あたしの悩みは、ただの失恋。恋が思い通りにいかないからって、援助交際や家出や違法風俗に走るなんて。他人から見たら、馬鹿だとしか思われない。

「どう? ほんっと、つまらない話でしょ」

 話し終わってから、自分を嘲る笑みが湧いてくるのを抑えられなかった。

 あたしの話は、重い荷物を背負って身体を売ってる事でようやく生きる活力を得られる子たちからすれば、本当にくだらない。

「最悪だよね。失恋したからって、誰とでも寝る女になるなんて。みんなからしたら、腹立たしいでしょ? こんな事で、悩んでるなんて」

「そんな事、ないよ」

 ひよりが声に力を込める。いつもおとなしくておどおどしているひよりが、いつになく真剣な眼差しであたしを見ていた。

「千咲は、その祐平って男の子のことがとてつもなく好きだったんでしょう? 失恋して、悲しくて、しょうがなかったんでしょう?」

「そう、だけど……」

「わたしだって、恋をしたことがあるからわかる。人を好きになって、その思いが報われないのは、とてもとても辛いことだよ。千咲の心が壊れてしまうのだって、仕方ないと思う」

「あたしも、つまらない話だなんて思わないよ」

 薫がにこっと笑って言った。

「逆に、そこまで一途になれるほど好きな人がいたなんて、羨ましいくらいだよ。千咲はその思いが叶わなかったから、辛いんだろうけど。これで、わかった。千咲が、デートボーイとの彼と付き合わないわけが」

「たしかにそれだけ好きな人だったら、簡単には忘れられないよね」

 聖良もそんなことを言ってくれる。

 じんわり、目頭が熱くなった。止めることのできない涙が、はらはらと溢れ出す。

 あたしを取り巻く人たちは、なんでこんなに温かいんだろう。

 自分の不幸と比べて、他人の不幸をつまらないものだなんてジャッジしない。

 それができる人間は、世の中にはほんのひと握りしかいないと思ってた。

「やっだー千咲ってば、泣くことないのに」

 言いながら薫が、ポケットティッシュを差し出してくれる。渋谷の駅前を歩いている女の子なら誰でも貰った事がある、キャバクラの求人広告が入ったポケットティッシュ。

「なんか、ありがとう。みんなに、ちゃんと話して、よかった。嬉しい。みんながこんなに、優しくて……」

「優しいのは、当たり前じゃん。うちら、親友なんだからさ」

 薫がそう言って、あたしの頭をぽんぽんと軽く叩く。

 親友。そう呼んでくれる女の子が、もう一度あたしの前に現れるなんて思わなかった。

 七緒に裏切られてたから、心のどこかで同性を信じられていなかった。

 でも自分からちゃんと心を開けば、受け止めてくれる人はきっと、誰にでもいる。


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