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  • 執筆者の写真櫻井千姫

ブログ限定小説「終わりのための11分」第二話

今日のあたしの取り分は三本で六万五千円。西さんの言う通り、普通のホテトルじゃあこうはいかない。ブスでもちんちくりんでも、若いというのはそれだけで価値がある。女子高生を高いお金を払って買いたがる男たちは、後を立たないから。餌に群がる池の鯉みたいに。

「今日もクラブ行くー?」

 十二時過ぎにカラオケ館を出た後、歩きながら薫が言う。行く? と誘ってるというより、行こうよ、てかむしろ行け、と強制しているような言い方だった。

「行く行く! 仕事でストレス溜まってんだよー。踊って発散したい」

 ピッチ片手に答えるあたし。聖良とひよりも頷いている。小型犬みたいに人懐こくって誰とでも仲良くなれるタイプの聖良とは違って、ひよりはクラブみたいな場所は苦手なはずだ。でもここでわたしは行かない、なんて言えないのがひより。

 この子、中学の時いじめとかに遭っていそうだな。なんとなく、無責任な予想をする。

「今日金曜日だから、人多いだろうなー。いい男いるといいなぁ」

 ハミングするみたいな薫の口調。薫はクラブが大好きだ。たしかに薫のセクシーでマニッシュなファッションはクラブの雰囲気にぴったり合ってるし、スタイルがいいから踊っても様になる。あたしは渋谷に来て初めてクラブというものに足を踏み入れたけれど、未だに盆踊りのようにしか手足を動かせない。

「お、今日も来たんだ。美少女四人組」

 三十代始めぐらいの受付の男の人はあたしたちと顔見知り。本来なら十八歳未満立ち入り禁止のこういう店でも、クラブ関係者に知り合いがいる薫のお陰で、顔パスで入れる。

「今日も来ちゃったよー。渋谷にたくさんクラブあるけど、やっぱここが一番だよね」

「他の店入れないからじゃなくて?」

「やぁだ、意地悪言わないのー」

 なんて、薫の右手が男の人の肩をぱしんと叩いた。薫には男女問わず、スキンシップがやや過剰なところがある。

 扉を開ければ、音と光の渦に飲み込まれる。強烈な赤や目を刺す青や禍々しい緑の光が次から次へと身体を突き抜け、大音量のトランスミュージックに大量のアドレナリンが流れ出す。どっちを見ても金や茶色や銀の髪に、身体のラインをばっちり見せたセクシーな恰好の女の子だらけ。彼女たちを物色する、ハイエナの目をした男たちが煙草を吸っていた。

「はぐれないでね」

 母親のスカートをつまむ子どものようにひよりが聖良のワンピースの袖を掴んだ。やっぱりこういう場所はひよりの性に合ってないらしい。

「大丈夫だよ、傍にいるって。それにしても今日、いつもより人、多くない? 金曜だからってことを差し引いても。夏だからかなぁ」

 聖良が暑そうにワンピースの衿をぱたぱたさせた。たしかに冷房が故障しているのか、人が多過ぎるのか、室内なのに熱気がむんと肌に密着している。すぐに飲み物が欲しくなってきて、四人ともお酒をオーダーした。未成年飲酒禁止、なんて法律はあたしたちからしたらまったくの無意味。

「何飲んでるの?」

 四人でアルコールを流し込んでいると、さっそく二人組の男が声をかけてきた。一人は赤っぽい茶髪に細い一重の目がいかにもエロそうな雰囲気を醸し出していて、もう一人はそいつに無理やり連れてこさせられたって感じのもっさりした眼鏡男。クラブ初めてです、と顔が言っている。

「あたしはモスコミュール。この子はビールで、こっちの姫系ギャルがカルーアミルク。ひよりは何なの? それ?」

「スクリュードライバー」

「へぇ、なかなかいいチョイスしてるじゃん。その可愛い顔でスクリュードライバーって、ギャップがいいよ」

 一重の男はどうも、ひよりが目当てらしい。ひよりは男のエロ光線ばりばりの瞳に、明らかに困惑している。聖良が助け船を出す。

「私たち、まだ未成年なんで。お酒のことあんまり知らないから、いろいろ飲んでみたくなっちゃうんです。私はいつも、カルーアミルクだけど」

「カルーアミルクなんて、可愛いじゃん。君、服もめっちゃ可愛いね。女の子はなんだかんだ、そういう服が一番いいよね」

 エロ光線を聖良にも送る一重。なんだよ、どっちが狙いなんだよ、ていうかどっちかにしろよ。喉の奥で毒づきながら、あたしはごくごくハイネケンを流し込む。

「クラブ初めてなんですか」

 黙りこくっているもっさり眼鏡に声をかけてみた。大学生ぐらいの男はこくりと首を上下させる。

「まったく初めてです。周りはみんな行ってるから、僕も一度は来てみたいなと思って」

 年下に敬語。一人称が僕。見た目通りのしゃべり方をする。

「どうですか、初めてのクラブは」

「どうっていうか。とりあえず、うるさいですね」

「うるさいですよ。クラブなんだもん。誰かと話しました?」

「さっき、別の二人組の女の子と話したんです。まったく話が噛み合いませんでした」

 そりゃそうだろうなぁ。言葉を探しながら、場違いなグレーのTシャツに目をやる。胸のところに遠慮がちにロゴが入っていた。

「そのTシャツ、どこのですか」

「これ、海外ブランドで。あんまり知名度ないけど、地味に高いんですよ。Tシャツの他にも靴とか帽子とかいろいろ作ってて、特に帽子が質が良くて」

 服にお金はかける割に、まったくセンスがない男だ。Tシャツの裾はきっちりジーンズに押し込まれてるし、腕時計は小学生がつけてるようなミッキーマウス柄。まぁ、世の中広いから、中にはこういう男を好む女もいるんだろう。

 服のことばかりべらべら話す男がうざくなり、薫と二人、踊りの輪に繰り出す。好き勝手に身体を動かす男女の間で、あたしもリズムに乗せて手を振り、足を振り、腰をくねらせてみる。ダンスを最初に考え出したのはいったい誰なんだろう。たぶん神様に捧ぐ儀式とかだったんだろうけれど、神様を喜ばせるために身体を動かすなんて、よくよく考えたらかなり突飛な発想だ。神様は奇天烈に動く人間たちを見て、こいつらなんなんだ、阿保なのか、俺は阿保を作ってしまったのか、アダムとイブが禁断の実を食べたせいで人間は頭のねじが何本か外れてしまったのか、とか考えていそうだ。

 二十分は踊っただろうか。身体にみっしり疲れが溜まり、アルコールがまた欲しくなる。ハイネケンをぐひぐび流し込んでいると、テノールの声が頭ひとつ分高いところから降ってきた。

「いい飲みっぷりだね」

 その男は少女漫画から飛び出してきたような、くるくる大きな丸い目をしていた。凛とした鼻筋に、適度な厚みの唇。男、というよりも少年と言ったほうが正しい。とても十八より上には見えない。左耳につけた銀色のピアスが、ミラーボールの明かりをうけててらてらと光っていた。

「喉、渇いてたんだもーん。さんざん踊ってたら疲れた」

「君、クラブで踊るタイプなんだね」

「クラブは踊る場所でしょう」

「一般的にはそうかもね。でも僕は、ここに集まる人間観察が趣味なんだ」

 なんなんだこいつ。つい、喉まで本音が出かかった。クラブに来て人間観察? たぶん、よっぽどの変人。アダムとイブの頭のねじが何本が外れてるとしたら、こいつは百本くらいは外れてそうだ。

「名前、聞いてもいい?」

 カシスオレンジのグラスを傾けながら、男が、いや、少年が聞く。これはナンパなんだろうか。でもナンパの自己紹介で、クラブで人間観察をやってますなんて未だかつて聞いたことがない。やっぱり変人だ、こいつ。

 丸い大きな目に覗き込まれる。その瞳が純粋な輝きを纏っていることに気付いて、あたしはこの正体不明な少年に少しだけ心を開いてみる気になった。

「千咲。千に、花が咲くって書いて千咲」

「可愛い名前だね。僕は律希」

「格好いい名前じゃん。歳いくつ?」

「十六」

「なんだ! あたしと同い年じゃん!」

「高校生? 僕は高校、行ってないけど」

 しばらく言い淀んだ。風俗をやってるなんて、ホテトル嬢なんて、言ったら引かれるに決まってる。律希がにっ、と唇を笑いの形にした。

「千咲の仕事、当ててみようか?」

「え? 何それ? そんなのわかるの?」

「風俗嬢。それも十八歳未満を雇う違法風俗。ホテトルってところかな?」

 あまりにも的確な答えに、思わず口が間抜けな形にぽっかりと開いてしまった。その顔がおかしいのか、律希がコロコロと笑う。

「すごい。なんでわかったの?」

「僕も同業者だからね。なんとなく、勘でわかるんだ」

「同業者? 女の人相手に、身体売ってるの?」

「僕のお客さんは、男だよ。いわゆるデートボーイってやつ」

「マジで!?」

 思わず素っ頓狂な声が出てしまった。デートボーイの存在もゲイの存在も知ってはいたけれど、こうして顔を突き合せて話すのなんて初めてだ。あたしは律希の耳に口を寄せた。きらり、またピアスが光る。

「じゃあつまり、律希ってゲイなの?」

「うーん、そういうことになるのかな。女の人とは経験ないから、いざ女の人とそうなった時、自分が反応するのかどうかわからない」

「じゃあ律希、ある意味童貞なんだ」

「ある意味ね」

 二人顔を見合わせ、くくく、と笑い合った。言うなればあたしと律希は、共犯者。二人とも男に身体を売って、日々の生活を営んでいる。もちろん薫も聖良もひよりも共犯者だけど、男の子の共犯者に出会うのは初めてで、心がソーダ水を流し込んだようにぱちぱちと昂っていた。

「仕事はデートボーイだけ?」

「いや。副業もしてる」

「副業?」

「うーん。ちょっと説明が難しいんだけど、カウンセリングみたいなものかなぁ」

「へー。律希って、結構頭いいんだ」

「何それ。僕全然、成績良くないよ。小学校も中学校も、ビリから数えたほうが早かったし」

「成績と頭の良さは関係ないよ。カウンセリングって、すごい高度な技術なんじゃないの?」

 そう言うと、律希は困ったように眉を八の字にした。

「あたし、何か変なこと言った?」

「いや。別に何も」

「ねぇ。それより踊らない? 人間観察より、身体動かしたほうが絶対楽しいよ」

「え、でも僕、運動神経悪いし」

「ダンスは上手くやることには大した意味はないの。楽しむことが大事なんだよ」

 あたしは律希の手を握って、踊りの輪へと繰り出す。最初はぎこちなく手足を動かしていた律希もだんだんテンションが上がってきたのか、いつのまにか笑顔で身体を音楽に任せていた。あたしも踊った。踊り狂った。途中、水分補給のために何杯か酒を飲んだけど、何杯飲んだかは覚えていない。十六歳の未熟な脳は大音量のクラブミュージックと原色の光とアルコールでトランス状態に陥って、途中から記憶がぷつりと抜け落ちていた。




 頭が痛い。目が覚めて最初に思ったこと。ずんずん、ずきずきと、まるで脳内で大量の虫が暴れ回ってるみたい。鉛が詰め込まれたように重たい身体を起こすと、肘に何かが当たった。隣を見ると、律希が生まれたての赤ちゃんのような無垢な寝顔を見せていた。

 とりあえず、服を着ているかどうか確認した。大丈夫。Tシャツもミニスカートも、どこにも乱れた後はない。そっと布団を剥がして律希を確認すると、律希も服を着ていた。ほっとした。いくら、金さえもらえれば誰とでも寝る女だからって、クラブで知り合った男と一夜の過ちだなんて、そんなメロドラマみたいな展開、あたしの趣味には合わない。

 携帯の着信音が鳴る。椎名林檎に設定したこのメロディは、薫だ。いつもならお気に入りの丸の内サディスティックが、二日酔いの頭にはそれこそサディスティックな苦痛を与える。

「もしもしー? 千咲? 今どこにいるの? 昨日あの後、千咲、途中で消えちゃって。携帯もいくら鳴らしても出ないし、心配してたんだよー?」

 薫のハスキーボイスががんがんと耳を突き刺し、頭痛を誘発させる。嘘をついてもしょうがないので、正直に言うことにした。

「夕べクラブで知り合った男と、今ラブホにいる」

「は? マジで? ヤッたの?」

「たぶんヤッてない。二人とも服着てたし」

「何それー。つまんないの!」

 つまんないってなんだそれ。あたしが行きずりの男とヤルのが、そんなに面白いのか。二日酔いのせいか、些細な言葉に刺激されてしまう。

「薫、今日出勤?」

「五時からね。今、家に聖良とひよりがいるよ。千咲も来るでしょ?」

「行く」

 それだけ言って、電話を切った。ベッドの上の律希に目をやると、律希はまだすやすやとよほど幸せな夢でも見てるような寝顔をしている。

 このままお別れってのも、なんだか寂しいな。こいつ、面白い奴みたいだし。

 バッグから手帳を取り出し、メモページを一枚破った。携帯の番号を綴り、ひと言添える。

『夕べは楽しかった。ありがとう。またいつでも電話してね』

 ガラステーブルの上にメモとホテル代の一万円札を残し、あたしは部屋を後にした。



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