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  • 執筆者の写真櫻井千姫

ブログ限定小説「終わりのための11分」第十二話

薫とひよりが仕事に行ってしまい、東さんはひよりのボディガード、西さんは私用で出かけていて、カラオケ館の一室にはあたしと聖良の二人きり。せっかく二人だけなので、たまには歌うか、とマイクを握った。あたしは椎名林檎の「ギブス」を歌い、聖良は「LOVEマシーン」をノリノリで歌っていた。聖良は歌う時の声も可愛い。顔だって可愛いんだから、ホテトル嬢なんてやってないでアイドルになればいいんじゃないかと思う。今日のローズファンファンの白いワンピースだって、すごく可愛く着こなしてるし。

「ねぇ、なんで聖良って、こんなところでホテトル嬢なんてやってるの?」

 熱唱後の荒れた喉をオレンジジュースで潤しながら訊くと、聖良はえ、と驚いた顔をした。

「聖良って、あんまりこういうところで働くタイプじゃないじゃん? モーニング娘。とか、入れそうだし」

「オーディション受けたことあるよ。中学の時」

「マジで!?」

「落ちちゃったけどね。アイドルになるような子は、みんな可愛いから」

 そう言って笑う聖良は、ゴマキより遥かに可愛いのに、なんで自分に対してそんなに自信がないのかと不思議になった。

「聖良ってさ、いじめられた事ある?」

「え……別にないけど。なんで?」

「なんとなく、そう思った」

 自信のない女の子は、過去にいじめられた経験を持つ子が少なくない。ひよりだって、堕胎した挙句、学校でいじめられて、不登校になってしまったのだ。何にもなければそれなりにいい高校にもいい大学にも行けて、弁護士にも医者にもなれたような女の子なのに。

「いじめられた事はないけど、レイプされた事ならあるよ」

 聖良がぽつんと言って、あたしは目を見開いた。聖良と律希が一瞬重なって見えて、そんなあたしの顔がおかしかったのか、聖良がぷっ、と噴き出した。

「そこまで驚く事なくない? 私たちがお客さんにされてる事って、合法的なレイプみたいなものじゃない」

「そうだけどさ。でも、意外だった。ごめん、変な事聞いて」

「別にいいよ。今はどうでもいい事だから」

 聖良が滅多に吸わない煙草を取り出した。ピンクのパッケージのピアニッシモ。

「中一の時だった。相手は、担任の先生で……すっごくいい先生だから、そんな事されて、素直にショックだったよ。しかも……」

「妊娠したの?」

 聖良はううん、と言った。

「妊娠だったら、まだ良かったのかもな。その時私、感じちゃってたから。ひどい事されてるのに、心は嫌なのに、身体は気持ち良くて。気持ち悪い事されてるのに気持ちよくなっちゃってる自分がすごく嫌で……先生、気持ち良いでしょ? て何度も言ってくるの。ひどいよね。その度に、気持ち良いです、って優等生みたいに答えるんだ。私が泣くと、先生は涙を舐めた。ざらついた舌に、ぞわっと鳥肌が立った」

「その先生、ちゃんと懲戒免職とかになった?」

「もちろん。私の他にも何人か被害者がいて、大騒ぎになったの。最後までされたのは、私だけど……親に強制的にカウンセリング、通わされた」

 あはは、と聖良が笑った。煙がぐねぐねと変な形になる。

「カウンセリングなんて、なんも意味ないよ。私がされたのはひどい事で、私は汚い生き物で、そう思ったら、セックスの相手なんてどうでもよくなっちゃって。出会い系サイト使って、いろんな男の人に会って、セックスして、お金をもらった」

「レイプされたのに、男の人が怖くならなかったの?」

「それが、あんまり怖くないんだよね。もちろん、してる間に泣きたくなる事は今でもあるよ? でもむしろ、セックスしてお金をもらうと、男の人に勝った、って感じがするんだよね。私は初体験で、男の人に負けちゃったから。気持ちいいフリして、気持ちよくさせて、あなたのこと大好き、なんて嘘ついてお金もらうの。自分が凄腕の詐欺師になったみたいで、妙な達成感があるんだ」

 薄く笑いながらそんなことを言う聖良に何も言えなくて、無言でウーロン茶のコップに口をつけた。

 律希が背負っている痛みを聖良もまた、背負っている。しかも、二人とも言っていた。「感じちゃった」って。その気持ちはたしかに、わからなくもない。仕事で、ものすごい性格の悪いオヤジにクリトリスを舐められる時、気持ち良いのと同時に、こんなゴキブリみたいなクズ野郎に感じさせられているのかと思うと悔しくて、その後のフェラチオでペニスを噛み切ってしまいたい衝動に駆られるから。別に好きでもなんでもない、むしろ憎悪している相手から与えられる快感は、痛みと怒りに変換されるのだ。

 でも聖良はその痛みと怒りに、自分なりに折り合いをつけた。それは間違った対処法なのかもしれないけれど、その結果、聖良は強くなったのかもしれない。目の前でピアニッシモを咥える聖良からは、レイプされた女の子の悲しみなんてちっとも感じないから。

「気が付いたら、家にもあんまり帰らなくなって。親は心配して、カウンセリングの回数増やさせられた」

「カウンセリングの先生に、この仕事のことは?」

「言うわけないでしょ。行ったらすぐ、親に伝わっちゃうもん。カウンセリングの先生の前では、友だちがたくさん出来て、毎日楽しいです、って言ってる。親もその事信じてるから、私があんまり家に帰らなくても、なんも言わないんだ。友だちと遊び回ってて楽しんでるんだから、いいじゃない、って。でも髪は染めないけどね」

「だから黒髪なの?」

「そうだよ。髪まで染めたら、いよいよ不良になった、って大騒ぎされちゃうでしょ? コテで巻くだけに留めてる。一度だけ、染めた事あるけどね。ごく地味な色だよ。コーヒーに、栗のムースをひと匙落としたぐらいの色。親は気付いてなかったな」

「聖良は、大人が憎くないの?」

 聖良は大人によって傷つけられたのに、必死で守ろうとしてくれる大人たちによって何も救われなかったのに、まだ大人たちの機嫌を取り続けている。親が大事だと一度も思ったことのないあたしは、聖良の素直で優等生的な部分がどうしても理解できない。

「憎い? いや、別に。ただ、その先生がたまたま、頭おかしかっただけだもん。そりゃ、親やカウンセリングの先生はウザいって思う事もあるし、正直、心配されるのって迷惑なんだよね。私のせいでグズグズ悩んでほしくないし……だから、あまり心配かけないように、家に帰らなくても毎日一度はお母さんにメール入れてるよ」

「そ、か」

 心配されるのが迷惑、というのはよく分かる。あたしも、受験生の身でまったく勉強せずに夜遅くまでエンコーに耽って深夜に帰宅する度、ヒステリックに怒る親と何度もバトルになったから。

 そういえば一度だけ、母親があたしの部屋に入ってきた事がある。三人の男とエンコーして帰ってきた翌日で学校を休み、夕方まで寝ていた日だ。

「千咲、何か悩みがあるの? もしかして、学校でいじめられてる? 困った事があるなら、なんでも言って」

 中学生の悩みといえばいじめだろう、と決めつけているような言い方が気に食わなくて、あたしは母親の顔にクッションを投げつけて追い払った。

 あたしの悩みは、とても親に打ち明けられるようなものじゃない。祐平を好きなことすら、絶対に親には知られたくなかった。ひよりみたいに堕胎やいじめや、聖良みたいにレイプだったら、素直に親を頼れたのかもしれない。でも、自分が勝手に好きになって、勝手に失恋して、勝手に心を荒ませて。そんな馬鹿馬鹿しいこと、誰にも打ち明けられるわけがない。

「千咲は? この仕事を始めるきっかけ、なかったの?」

 ピアニッシモを吸い終わり、コテを取り出した聖良が言う。あたしは呟く。

「あたしの話なんて、聞いてもつまらないよ」

 それに、聞いてもらったところで共感なんてしてもらえない。

 律希以外には。

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